このサイトはお使いのブラウザでのサポートが制限されています。Edge、Chrome、Safari、またはFirefoxへの切り替えをお勧めします。

KEBYO

¥220,000

「華瓶(けびょう)」

 

華瓶とは古くより神仏に花を供えるための器として用いられてきた正式な典礼語であり、その名は仏典『法華経』や密教の『大日経』、さらには華道の根源的典籍である『華道古典全集』にも名を留めています。

 

本作はその華瓶に着想を得たセラミックアートであり、花を生ける花器となっています。すっと伸びた口縁から胴へと広がる柔らかなラインは、花を迎え入れるための器としての寛容さを湛え、その下に据えられた台座はまるで根を張るように安定し、器全体に上昇と沈静が同時に宿る構造美を与えています。

 

重心を低く支えながらも視線を上へと導くそのかたちは、花をただ支えるのではなく、花の立ち姿そのものをかたちにしたような佇まい。直線と曲線、緊張と余白が静かに均衡し、器でありながらもまるで祈りのかたちを彫り出した彫刻のようでもあります。

 

白磁の肌は装飾を持たず、ただ潔く静かに光を受けとめる。水を張ればそこに浮かぶ影もまた祈りのかたちとなり、花一輪を挿せば器の中に季節と気配がふわりと咲き立ちます。

 

重心のある台座と上昇するように伸びる口縁とのバランスは仏前における供花器の作法とも呼応する。神前具にも似た現代の花器を静かに再構築した、花とともに心を捧げるための器です。

 

ラグジュアリーなジャパニーズモダンの空間から、モダン建築の一隅、アートギャラリーや茶室のような静謐な場まで、花を湛える器として美しく調和します。

 

 

※受注生産の商品となっております。ご注文後に作家が制作を始めますため、お届けまでに2ヶ月〜3ヶ月ほどお時間をいただきます。予めご了承いただけますと幸いです。

※一点一点手仕事でお作りいたしますので、形状やサイズなどに個体差がございます。

※長くご使用いただく中で汚れが付着する場合がございます。付着した汚れはハイターなどの食器用漂白剤に浸していただくことで落とすことができます。

 

 

Size:約W200  D200  H300 (mm) ※個体差あり

Material:磁器(porcelain)

送料:無料


[{"variant_id":"51193029001519" , "preorder":"false" , "final_sale":""}]

KEBYO

¥220,000

Ceramist

近藤賢

福島県双葉郡浪江町に根差した伝統的工芸品「大堀相馬焼」の制作を手掛け、260年の歴史を持つ窯元「陶吉郎窯」の十代目として生まれる。文星芸術大学美術学科で陶芸を専攻し、大学3年時に第41回日本現代工芸美術展に入選、第34回日展に入選した。文星芸術大学大学院修了後は陶芸メッセ益子に勤務。その後、2010年に浪江町に戻り作品制作を開始。2011年の東日本大震災によりいわき市への避難を余儀なくされ、2018年に避難先のいわき市四倉町にて「陶吉郎窯」を再開し作陶を続ける。2014年に第53回日本現代工芸美術展にて現代工芸大賞を受賞、2023年に第61回日本現代工芸美術展にて現代工芸理事長賞するなど、作陶を再開した後も多数の賞を受賞する。LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2017 匠の選出やアパレルブランドの新ブランドをディレクション、モニュメント制作など多岐に渡る活動を行う。

Obori somayaki

大堀相馬焼

大堀相馬焼は福島県浜通り、浪江町大堀を発祥とする、相馬藩の保護のもと育まれてきた伝統工藝品です。江戸時代、相馬藩は「相馬野馬追」という伝統的祭事で知られ、その地の紋章ともいうべき御神馬が陶器の意匠にも深く刻まれました。作として用いる「走り駒」の絵柄には武運長久や家運隆盛を願う縁起物としての意味が込められており、藩をあげて大切に扱われてきた工藝品でありました。特に、江戸時代三代将軍の徳川家光の時代には、全国の諸藩が参勤交代で奉る引出物の中でも最も価値ある品として大堀相馬焼が位置づけられたとの記録も残ります。その制作技法は長らく極めて秘伝とされ、ほんの一部の陶匠だけがその技を継承。約三百年を超える歴史を誇る窯元が今日もその技を伝えています。昭和53年(1978年)には通商産業大臣(現・経済産業大臣)により「伝統的工芸品」に指定されています。

Tokichirogama

陶吉郎窯

陶吉郎窯の歴史は、江戸の旗本・近藤登之助の六男として生を受けた近藤家陶業の祖、初代近藤平吉(1736~1818)に始まります。平吉は京焼楽焼の修業を経て江戸において楽焼師として開窯し、安永六年(1777年)には会津藩に磁器焼師範として召し抱えられ、その後三春藩へと移り、多くの弟子を育成しつつ大いなる功績を遺しました。二代目近藤陶吉郎(1789~1857)は父と共に三春の地で優れた楽焼を手がけましたが、文政二年(1819)、平吉の没後に相馬藩より招聘され、大堀瀬戸方としてその地に腰を据えます。大堀相馬焼は元禄三年(1690)の創始以来、主として日用の粗陶を産していましたが、陶吉郎を迎えたことで技法の革新と作風の多様化が進み、多くの俊才を輩出するに至りました。まさに近藤陶吉郎は、大堀相馬焼中興の祖として不朽の名を刻んだのです。その後も受け継がれた技術と精神は脈々と伝わり、今日では九代目・近藤学氏、十代目・近藤賢氏の手によって、伝統と創造の窯火が絶えることなく守り続けられています。